東王の日記

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五等分の花嫁の感想考察日記!

五等分の花嫁:87話『私と姉妹①』感想 これは「ひとり」と「ひとり」を繋ぐための物語。

 どんな物語でも、物語が始まる前までに起こった出来事を振り返る場面というのはよく見かけます。この五等分の花嫁という作品でもそれは同じこと。今までも過去に関して登場人物の口から語られる場面が多く、特に林間学校後に入院してた時くらいから各人の過去の描写が増え始めたように思います。

 

 それがここにきて過去の事しか語られないお話を持ってくるのは少し、いや、かなり予想外でした。今回から四葉風太郎の物語を現在で展開しつつ要所要所で過去の話を持ってくるのかな、という形を予想していただけに、最初のページを見た時に「おお?」と思わず驚きの声が自分の口から漏れ出てしまいました。

 

 そして今回語られた内容というのは「誰かの口から語られた」という描写ではなく第三者視点、いわゆる「神の視点」で話が進んでいました。その中で主要視点者を四葉に据えたのが今回のストーリーというわけですね。

 

 さあ、風太郎が京都の修学旅行で会った子が自分であると告げない選択をし続けている四葉のその胸中は一体どのようなものなのか。それを紐解く鍵を見つけるため、過去への旅を始めましょう。この物語の終着点が皆が幸せになるための道(ゴトーブンズゲ-ト)に繋がるハズだと信じて!

 

 

修学旅行前から五つ子に差異は現れていた

 最初に取り上げたいのは「修学旅行前から既に五つ子で身体能力、意識の違いが現れていた」ということについて。

 

 姿が瓜五つの子供達を見分けられないヘボ監督殿の主観が100%ですが、既にこの修学旅行以前の時から四葉の身体感覚が他の姉妹に比べて頭一つ分抜きんでてるレベルのものだった、ということ。そして、「そっくりは私たちにとって誉め言葉だから」と言ったのは話の流れとイメージ的に二乃でしょうか?とにかく、五つ子達の四人が「五人は一緒」「五人は同じ」という意識に何の疑問も抱いてない一方で、「本当にそうなのかな?」と自問自答してる四葉の心境の違いがあったのは面白い話です。

 

 

 よくよく考えれば別に不思議な話でもないんでしょうけどね。一卵性の五つ子とは言え、全員が全員で同じ経験をしたとしても物事の感じ方などで多少の差異は現れるだろうし、そういった差異が積み重なれば自分と他の姉妹との間に違いがあると気づき、少しずつ意識していくようになるんじゃないかと。

 

 そして五つ子はいつも同じ・一緒であることにいち早く疑問を持つようになったのが今回の四葉だったわけなんですね。ヘボ監督殿から「四葉をお手本にしてしっかり練習するんだぞ」と外側からの客観的な評価による「個性」が見出され、五つ子の内側に隠されていた「個人」といったものもいつの間にか認識できていた、と言ったところになりますか。

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お手本

 

 僕は五つ子の個性などに関して、今までずーっと零奈の死後に五月が痛々しい状態に陥ったり一花がお姉さんにならなきゃと意識するようになったりしてた頃から、という認識がありましたが、改めないといけませんね。

 

 ただ、五月が他の姉妹以上にお母さんである零奈にべったりくっついて離れたがらない一面を持ってたり、一花が勝手に物事を決めたりする一面も見られているように、特別に四葉だけが違っている、ということはなさそうですね。

 

零奈という人間について

 さて、過去編という事で五つ子達の母・中野零奈本人が今回登場しましたね。これまでの話で零奈について分かってる事と言えば

「花火はお母さんとの思い出」

「五つ子は愛で見分けられる」

「男の人はもっと慎重に選ばないといけません」

「めちゃ美人、鉄拳、ファンクラブ」

「家族旅行先の爺さんの実の子」

「女手一人で五つ子を育てる」

 などなど。

 

 で、今回改めて零奈を見て思ったこと、というよりも、今回は読み終わった後でガッツリとツイッター見て気付かされたことなんですが、「一花のピアス三玖の無表情五月の敬語」など、五つ子達は零奈の特徴を何かしら少しずつ分け合っているような感じがあったんですよね。二乃と四葉は何だったか忘れましたが、きっと二人にも零奈の特徴を引き継いでいるんだと思います。

 

 とりあえず五月の敬語に関しては例の「五月長女論」の記事で推測した通りでしたね。

 これまでに京都の子の考察をしてる際に使ったコマがあるんですけど、その中に「母は体調を崩し、入院してしまって……だから私は母の代わりとなって、みんなを導くと決めたんです」っていうセリフがありました。「入院して……」の部分は、その後で母親が亡くなったことを示唆しているものと思われます。

 

 その後、7つのさよならで二乃が「未練がましく母親の代わりを演じるのはやめなさいよ」と、そしてスクランブルエッグで一花が「お母さんが死んじゃった後のあの痛々しい五月ちゃんの姿を見てたらね」と言っていることから、母親が亡くなってから五月は母親を真似をし始めるようになったのではないか?と推測することができます。

 まあこれも推測の根拠になった某漫画があったからこそですけどね。というか皆さんもその漫画を買って読んでみてくださいね。めっちゃ引き込まれること間違いなしの作品ですから。ネタバレになるのでタイトルだけは決して言いませんが!

 

 あとは五月長女論の記事もあわせてどうぞ。(どうでもいいけど、今では長女説よりゴロがいいから長女論って言ってます。)

 

 

 

 話を戻しますが、一花は個人的にはこう思っています。人間的なオーラ。あとは言い忘れてましたが客観的な「美人度」とでも言いましょうか。花火大会の時に一花にだけサービスしてもらって(五月が食の恨みを晴らさんが如く逆ギレして)たり、花火大会後に風太郎と一緒に登校した時も「お前は妙に目立つから嫌なんだが……」と言われていたり、前田ほか何人もの男の人から告白されたり、クラスメイトの男どもからは高嶺の花のような存在だったり。とにかく、他の美人姉妹と比べても十分魅力的だと思えるレベルの容姿なんですよね。

 

 それと「ピアス=物」だと少々味気ないかな?って思うのもありますし、やはり人間的な特徴を引き継いでる方が「」って感じがするので僕としてはこちらで考えたい所。

 

 ただ、ピアスはピアスで「将来の風太郎の花嫁」が付けていることは既に分かっている事なので、やはりピアスも零奈を意識しているものであるかもしれませんね。もしかしたら花嫁の着けているピアス零奈の形見なのかな?

 

 マルオと零奈

 それでは零奈に関連して、マルオと零奈の関係についても考えましょう。

 

 まず、カレンダーを見たら修学旅行は6月となっていました。そして零奈が五つ子を見送る際にマルオも駅に現れたのですが、その時に零奈は「私のファン、らしいです」と頬を若干染めて言っていたんですよね。その後は姉妹も「やっぱ彼氏なのかな」などと移動中に話をしていたことなどから、「零奈は修学旅行の段階ではまだマルオと結婚をしていなかった」ということがわかります。これは正直に言って相当驚きました。

 

 っていうのも、以前からしていたの京都の子の考察の際に、『過去に京都の子が健康祈願のお守りを買ったのか買っていなかったのか?』という疑問を軸に、「零奈は修学旅行の時に入院しているのか?それとも亡くなっているのか?」といった考察をしていたんですよ。当然、既に二人が結婚をしている前提の考察でした。それなのに現実は『そもそもまだ結婚すらしていなかった』という状態だったわけですね……。

 

 しかし、零奈の死は8月14日と最後の試験編の五月の話で明記されています。となると、これはもういわゆる「秒読み」の段階に入ってしまっている状態なんじゃないかと。なのに結婚をまだしていなかったのか、と。

 

 そして零奈の死に関して一つ考えたいことがありまして、もうこのブログを読んでいる皆さんも十分予想されてる事とは思いますが「そもそも本当に零奈の病気は治っていたのか?」という点について自分の考察を述べたいと思います。

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 まあ、こんな書き方をするってことは「病気なんて治っていないんだろうな」って言ってるようなもんなんですけどね。あまり医学に関して専門的な知識は持っていないので適当なことは言えないんですが、終末期医療ってやつなのかなって。病気で余命が僅かしかない人たちに向けて、これ以上の延命を諦めて在宅で過ごすことを選ばせるかどうか見たいな。

 

 もしかしたら零奈は自分の命がもう長くないことをマルオに宣告され、これ以上の延命措置の中止を選んだ可能性があるんじゃないかと。 五つ子に治ったとまでついて。

 

 「5人が健康で過ごしてくれることが何よりも幸せ」。そう言った零奈の胸中はどれほどのものだったんでしょうね。もう自分は長く生きることができない。だけどその死の瞬間まで、娘達には笑っていてほしい。そして自分みたいにならないよう、皆がこれからも病に冒されることなく健康で過ごしてほしい。

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零奈の願い

 零奈の死後、基本的に頭がおバカな五つ子だけど、おバカだからといって不良少年少女のように道を踏み外すようなことは決してしてこなかったのでしょう。そして楽しいことや辛いことの全てを姉妹で分かち合ってきたことでしょう。全ては零奈の存在が、零奈の言葉が、零奈の願いがあったからなんだろうなあ。そう思うと胸が締め付けられる思いで一杯になってしまいます。まさか2週連続でこんな感情を抱くことになるとは思わなかったですね。

 

 そしてマルオもそんな零奈に惹かれ、想いの強さを知っているからこそ、娘達を見送った後で病状が悪化した零奈のために京都にまで将来の娘達を迎えにきたんでしょうね、きっと。後に義父である爺さんの死期を悟り、娘達と爺さんを会わせて少しでも思い出を残そうとしたことも考えれば納得できます。

 

 

 ……ん?

マルオが京都に来た理由

  なんでこんなことを思いついてしまったのか不思議なくらいビビってますが、ズバリ説明していきましょうか!五月長女論並みの暴論になってしまうかもしれませんが、ご了承ください。

 

 まず現在の修学旅行で「五人だけってなかった?」「それこそ小学生の頃の修学旅行以来ですよ」という会話をしています。つまり、過去の修学旅行中に五人だけの写真を撮ったということが確認できます。

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これね

 

 そして『始まりの写真』にて。これはツイッターのフォロワーさんの呟きで気付いた情報なんですが、5人が横に並んでピースをしている写真がありますよね?この写真がいわゆる小学生の頃の修学旅行写真と思われますが、その下にある写真をご覧ください。誰もが一度はテレビのCMなどでも目にしたことがあるようなシンボルがあることに気付きませんか?そう、ユニバーサル・スタジオ・ジャパンです。

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ユニバーサル・スタジオ・ジャパン

 そして5人がピースをしている場所というのがUSJに徒歩1分で行ける『ザパークフロントホテル』らしいです。なのに五つ子はこれを見て「修学旅行の時だよ」って言っているんです。つまり、修学旅行の最中にUSJに行って写真を撮ったのはほぼ確定的だと言ってもいいんじゃないでしょうか。

 

 マルオが病状が悪化した零奈のために京都にまで将来の娘達を迎えにきた場合、五つ子は旅行を中断して家に戻ってくることになり、USJに行けなくなってしまってこの写真も存在できなかったことでしょう。

 

 そしてもう一つ。『最後の試験が四葉の場合』にて、二乃が遊園地に来た事に関して「ママに連れてってもらった以来かしら」と言っています。この時零奈の身に何も異変がなかったなら、修学旅行の後でも零奈が五つ子を連れて遊園地に行くこともできるでしょう。しかし、6年前の修学旅行の最中に零奈の病状が悪化してしまった場合、その後に五つ子を遊園地に連れていくタイミングなど一生存在しないと思うんです。マルオがわざわざ五つ子を連れ戻しに来るとなると、入院させないといけないレベルのものなんじゃないでしょうか?

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ママに連れてってもらった以来かしら

 それから先ほどもチラッと話題にしましたが、マルオが春休みに爺さんのいる島に家族旅行をした理由は『五つ子に、老い先短い爺さんとの思い出を作らせるため』だったように思われます。もしかしたら、それと同じようなことが過去の修学旅行の時にもあったんじゃないでしょうか。『五つ子との思い出を作らせるために零奈を京都まで連れて行き、翌日五つ子を遊園地に連れていった』と。

 

 ちなみに自分のツイッターでも言っていますが、この説については二乃がパパの名前を出してないがウィークポイントになっています。ただ、零奈の口から「私が皆と行きたい、この人はただの運転手です」みたいな言い方さえすれば五つ子視点で「ママに連れてってもらった」と言ってもやや苦しいですが文脈的に間違いはないと思われます。

 

 ま、そもそも当時のマルオは「パパ」じゃないしね!

 

 それからさらに『始まりの写真』の五つ子達のこの笑顔を見る限り、6年前の修学旅行自体は決して暗くなるような思い出は存在しなかった、と言えるのではないでしょうか。零奈の病状が悪化したのを聞いて急いで家に帰ったことが事実だとしたら、あまりいい思い出は作れなかったのかもしれませんし。

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おそらく、修学旅行自体はいい思い出で終われたはず

 

 などとまあトンデモ理論をまた思いついてしまったので、当たってるか当たってないかは楽しみにしておきましょうか。おそらく五月長女論よりも早く答えが出そうですからね。

 

五月は風太郎と会ってすらいなかった

 えーまずは一言。以前の記事を読んでくださった皆様にごめんなさいと言いましょう。

 

 今まで僕が散々、何度も何度も、口を酸っぱくして、しつこいくらい言っていた例の説が間違っていましたからね。そう、「京都駅で風太郎に最初に会っていた姉妹は五月だった」というアレです。

 

 普通に四葉風太郎と会ってましたね。 

 

 五月が「あの日」と言ったことは普通に理解できました。

そりゃ自分も京都駅にいたんだから「あの日」って言えるわな。

 ただ、ボート零奈として現れた時の「また落ち込んでる」の部分も五月が直接見た訳ではない以上、一回目が落ち込んでいた事まで含めて四葉から話を聞いたことはもはや確定事項と言ってもいいでしょうね。

 

 自分としては今まで五月が完全に単独行動してた説を取っておりまして、ボート零奈の時までに四葉の事情を理解するタイミングが思い付かず、マジで五月が長女で四葉を常に気にかけていたという考察しか思いつきようがなかったのもあったので、これは素直に方針変更をしましょうか。

 

 疑問があるとすれば『話を聞いただけ』なのか『さよならの依頼』もあったのか、ということですが、全国模試が終わった後で「誰にも明かせない……」の部分を考えると依頼が会った可能性が高いのかな。「誰にも」の前に省略されているのが何になるかでも話はまた変わってきますけどね。

 

「(四葉以外の)誰にも明かせない……」となった場合、四葉から依頼されて五月が零奈としてさよならをした。おそらくこれがしっくりくるのかも。

 

「(姉妹の)誰にも明かせない……」となった場合、姉妹には明かせませんが、五月には『上杉らいは』というリーサルウェポンがあります。四葉にとってもリーサルウェポンではありますが。

 

 単独行動していた場合に一番ネックだったのが衣装の保持でした。衣装の調達に関しては五月が風太郎の家に居候し始めてから零奈として登場するまでに日にちが経過しているから問題ないと思われます。それから鞄や財布といった必需品はともかく、居候するために誰かに服まで持ってきてもらうのはさすがに頼みすぎな感じもしますので、財布を入手した後で自分で服を何点か購入してるんじゃないでしょうか。その中に零奈の衣装も含まれてて、ただしらいはに「この衣装だけは上杉君の目に届かないようにしてほしい」と依頼したのもまだ考えられることかなって。で、最後は勇也に頼んでク〇ネ〇ヤ〇トで着払いでまとめてマンションに衣装を送ればオールオッケーです。

 

 

 さて、四葉風太郎との出会いですが……。当時の風太郎は「(不要なのは)俺じゃん……」、そして現在でも「あの日お前に会わなければ俺はずっと一人だったかもしれない」と言っている通り、自分が集団に馴染めないという意味での「独り」であることを自覚し、落ち込んでいました。その一方で四葉「あの男の子のようにひとり旅ができる勇気があればなー」と言っている通り、五人は同じという意識を持ちながらも、その輪から離れて中野四葉という「一人」であることに憧れを感じていたように思います。

 

 そんな二人だから出会うべくして出会い、一緒に行動することでお互いに影響を与え合ったんでしょうね。そう思うとある種のロマン?を感じざるを得ませんが、現状の四葉の心理状態を考えると何とも言えない気持ちになってしまいます。はよ解決せんかやこれ……

 

 

私と姉妹

 最後にツイッターでも言っているように、今回の物語は他の姉妹の思考が見えることから、四葉の回想というには疑問が生じるストーリー構成となっています。言ってしまえば、この「私」というのは話が進むにつれて四葉から別の誰かに変わっていくのではないか?というちょっとした疑問を持っています。

 

 もしそうだと仮定した場合、次に来るのは五月なのかなって。そう思う根拠は二つあります。

 

 一つは現在四葉を気にかけているのが五月一人だけだからです。『7つのさよなら』の陸上部問題の時は姉妹全員が四葉の心配をして助け出しましたが、四葉の本質的な部分=京都で風太郎に会ったのにそのことを黙ったままでいることについては五月だけが知っていて、四葉を気にかけています。

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この頃から五月は四葉を気にかけてたのかな

 二つ目は零奈の死がきっかけで今までと言動が大きく変わっていったのは五月だからです。もしもこの過去の話がこのまま進んでいったら零奈との死別は避けられません。その後、一番母親を慕っていたように見える五月は一体どうなってしまうのか……。ちなみに一花も変わっていったと言えば確かに変わっていきましたが、母親の死というよりも五月が変わってしまった事が原因で自分も変わろうとした印象が強いです。

 

 ということでこの『私と姉妹』シリーズ。主要視点者は今現在は四葉で、風太郎との出会いや姉妹との意識の違い、そして姉妹とどう関わって生きていくのか?などが今後描写されていくものだと思っています。そして五月もそう。『一花四葉』『二乃三玖』のような互いに支えて支えられる関係が今の所見られない五月にとっての『私と姉妹』とは何なのか?もしかしたらそういうのも今後の話で見られるのかもしれません。まあ、予想なので外す可能性は大ですが。

 

 

 そしてなにより、この過去の話は風太郎にどのような形で伝わるのか?それとも伝わらないのか?そして風太郎は過去を知ったらどうなるのか?といった所も考えつつ期待しつつ妄想しつつ、今回はこの辺で終わりたいと思います。

 

 ご拝読ありがとうございました。

*本記事で掲載している画像は©春場ねぎ・講談社/「五等分の花嫁」より引用しています。