東王の日記

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五等分の花嫁の感想考察日記!

五等分の花嫁:感想考察④ ~『五月長女説』というトンデモ理論を提唱しよう~

 タイトルを見て『こいつ気でも狂ったか』と思われること間違いなしの記事タイトルですが、ガチで真面目にふざけて考察したのでその成果を発表したいと思います。

 

 内容が推測に推測を重ねたような文章になっておりますので、一文一文噛み締めるように読むことを強くオススメします。

 

 

 

事の発端

 

 まずそもそも何でこんなこと考えたの?と思われるでしょうから、そこから簡単に話していきます。

 

 これまでに京都の子の考察をしてる際に使ったコマがあるんですけど、その中に「母は体調を崩し、入院してしまって……だから私は母の代わりとなって、みんなを導くと決めたんです」っていうセリフがありました。「入院して……」の部分は、その後で母親が亡くなったことを示唆しているものと思われます。

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母親となって皆を導こう

 その後、7つのさよならで二乃が「未練がましく母親の代わりを演じるのはやめなさいよ」と、そしてスクランブルエッグで一花が「お母さんが死んじゃった後のあの痛々しい五月ちゃんの姿を見てたらね」と言っていることから、母親が亡くなってから五月は母親を真似をし始めるようになったのではないか?と推測することができます。

 

 事実、五月は家族に対しても敬語であり、零奈のセリフも敬語ですので、まあこの推測は100%合っているだろうなと。

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母親も敬語ですね

 でも、ちょっと待ってください。よくよく考えてみると不自然ではありませんか?

 

 五月が母親がとても好きで、憧れていて、慕っているのは今までに掲載されている話の中で十分に描写されています。「最後の試験が五月の場合」が特に顕著ですね。でも、いくら母親が好きだからと言っても、母親が他界してしまった時に皆を導こうとしますか?普通、自分が大きな悲しみに暮れてしまいますよね?

 

 そんなことをぼんやりと思ったのがそもそものきっかけでした。それでなんですけど、別の漫画にこういうお話がありまして……簡潔にまとめるとこんな感じです。

 

『父親が風邪を拗らせて他界してしまい、母親が大きなショックを受けて自暴自棄に陥ってしまう。それを見た子供時代の主人公が、家を数日間空けてしまう母親に置いていかれてほしくなくて、亡くなった父親の真似をして敬語で喋ることを決める』

 

 10年前に見た漫画なのでちょっとニュアンスが違うのかもしれませんが、だいたいこんな感じの話がありました。それで、もしかして零奈の死の時もそれと同じように何かあったのかな?って思ったのが全ての始まりでした。

 

予想100%の経緯

 おそらく、というか間違いなく零奈の死に対して五月は酷く悲しんでいたことでしょう。だけど、何らかのきっかけがあって母親の真似をし始めました。

 

 それが何なのかを例の漫画の展開もあわせて考えたんですが、『零奈が死の直前に「五月が長女である」という事実を五月のみに告げた。そして自分と同じくらい、あるいはそれ以上に零奈の死にショックを受けている他の姉妹がいたので、五月が長女としてなんとかしなきゃと思い、母親の真似をし始めた』のではないでしょうか。その姉妹が果たして何人いるのかは分かりませんが、少なくとも一人はいたと思います。

 

 一花は「自分が長女だから」というそれだけの理由で、五月の痛々しい姿を見て大人になることを決意しています。おそらく五月も同じように「長女だから」という理由で、ショック状態の他の姉妹のために母親の真似をしたんだと思います。 

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大人になる理由は自分が「お姉ちゃん」だから。

 

 そして、事情を知らされていない一花がそんな五月を見て「痛々しい」と思い、「大人にならないといけない」と思うようになったんじゃないか……そんな可能性があるんじゃないかと考えました。

 

 簡単にまとめるとこんな感じです。

・零奈の死の直前、五月に「実は五月が長女だ」と告げられる
・零奈が亡くなり、姉妹の誰かがひどく悲しむ
・五月は長女として、その子のために「母親を身近にいるよう感じさせるため」に母親の真似をし始める
・何も知らない一花がそんな五月の姿を「痛々しい」と思い、大人にならなきゃと思うようになる

いくつかの根拠

 さてと、上記の五月長女論は何も根拠がなくてこんなことを言ってるわけじゃないですよ。漫画を読み返して「これは?」と思った理由がいくつかありましたので、それを紹介していきたいと思います。

 

⓵なぜ五月がタクシーに?

 家庭教師として顔合わせをした日、風太郎は二乃によって睡眠薬で眠らされ、タクシーで自宅へ強制送還されてしまいます。そしてそのタクシーに同乗したのは五月でした。

 

 風太郎と同じクラスだし、送ったついでに買い物に行くと理由付けしていましたが、だからと言って五月が同乗する必要がそこまであるのかなと思いました。なんなら最初から風太郎に協力的な四葉に同乗と支払をお願いすればいい話です。買い物なんて翌日が日曜日だから行けるし、そもそも上杉家の夕ご飯に立ち寄ってるから買い物なんて嘘なのでは?とも思ってます。

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五月が同乗した理由

 だから、この時点で五月は風太郎が姉妹にとって安全な人なのかを長女として確かめるため」に乗ったんじゃないのかと。

②マルオが五月を優先する理由は?

 そして次は中間試験の時に五月がマルオに電話を取り次ぐシーンです。普通に考えてこういうのも長女の一花にお願いすればいい話じゃないですかね。だからこれもきっと「五月が長女だから五月に任せた」のではないかと。マルオだったら零奈から五月が長女であるという秘密を聞いていたとしてもおかしくはないでしょうし。

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こういうのは長女の一花じゃないの?

 まあマルオの視点でも風太郎と五月がクラスメートであることは承知していると思いますので、『場所的に一番近い五月に電話を掛けた』という解釈も普通に筋は通ります。

 

 ただ、中間試験の結果報告の場面ではその理屈は通りません。

 

 中間試験の報告の時にも、マルオは最初に五月に電話を掛けました。この理由もよくよく考えてみればすごい謎だと思いませんか?個々に結果を聞いていこうとしたのなら、後の3年1組の名簿でもわかるように、電話帳を開いて一番最初に選択されるとしたら一花になるはずです。一花を『イツカ』と登録しちゃっても『イツキ』より早いですしね。だけど、そんな一花を後回しにして五月に電話をしたんです。

 

 それにマルオは今回五月が風太郎が一緒にいることは想定しておらず、当然電話を取り次いでもらおうとも思っていませんでした。なおさら謎です。

 

 やっぱり五月が長女だから一番最初に聞こうとしたんですよ、間違いないね!

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なぜ五月から電話を掛けたんでしょうね

 

 おまけでもう一つ。温泉旅行の時に、一花・二乃・四葉が部屋にいなくてマルオにとばっちりでちょっと怒られてしまう場面です。ここでもマルオは「五月君、三玖君」と呼んでいます。そうです、五月が先に声を掛けられているんです。普通に姉の三玖が先やろ。

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五月から先に呼ばれてるよね

 やっぱり五月が長女だから(以下略)

 

 ちなみに「愚者の戦い」でマルオは五月に姉妹全員で家に戻りなさいと通告しに来たのですが、その時には五月を素直で物分かりのいい賢い子だから呼んだとあります。ここの場面だけは長女とかそういうのは関係なく、五月が真面目な性格だから呼んだんでしょうね。

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この時は賢い子として五月に通告しに来た

③五月の姉っぽさアピール

 単純に五月の服装に肩を出している服が多いこと、それから修学旅行の買い物でもアダルトな下着を購入していました。お姉さんアピール、というよりかは大人アピールに近い気がしなくもないですが、こういう部分だけでも少しでもお姉さんっぽくありたいという五月の心の表れなのではないでしょうか。なんせ長女の一花の下着が大人っぽいですからね。

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別にこういう下着買わんでもいいのにな

 僕は今どきの若者でも何でもないので最近の末っ子の女子高生の下着事情など全く分かるはずもありませんが、もしこれを読んでいる方達の中で『末っ子かつ女子高生』の方がいたら、そういう下着を買いたいと思うこともあるのかぜひともコメントや僕のツイッターで教え……なくてもいいわ。

 

④三玖がどうにも五月の姉っぽく見えない

 漫画を読み返していて、個人的に釈然としない部分の一つになってます。三玖が五月の姉っぽく見える部分って、ぶっちゃけ姉妹裁判の時の「五月は黙ってて」だけです。

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「妹は引っ込んどけ」感

 しかし、他の部分を見ると三玖の方が妹っぽく見える場面を結構見かけるんですよね。五月の性格だから、とも言えるのですが、やっぱり気になるものは気になる。

 

 先ほど述べた、温泉旅行の時にマルオに名前を呼ばれた順番でもそうですけど、後はもういっちょ中間試験の報告の時。風太郎が家庭教師に来なくなると聞いていてもたってもいられず風太郎に理由を聞こうとする三玖を、五月が「今は聞きましょう」と止めました。それから、二乃のおかげで家庭教師が続けられるのが決まった時にも三玖に「安心してください」と言っています。

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三玖に話しかける五月

 こうしてみると、妹の三玖に注意すべきところでしっかり注意し、安心させるべきところではしっかり安心させるというお姉さんムーブをしてると思いませんか?

 

 ちなみに四葉のことを書いていませんが、まあ言わずもがなですよね。割愛します。

 

⑤逆に五月に姉というイメージを持たせない演出

 花火大会の日に五月・風太郎・らいはで一緒にプリクラで写真を撮り、その時に「家族写真みたいだね」とらいはが言っています。

 

 家族というとたいてい「父親・母親・子供」が連想され、事実として後の7つのさよなら風太郎と五月が「俺は父親の代わりになろう」「母親の代わりとなって」とあることから、ねぎ先生がそれを意図して「家族写真みたいだね」とらいはに言わせているものだと思われます。

 

 でも、らいはの目線からしたら五月は母親というより姉と言った方が適切ではないでしょうか?兄である風太郎と同じ年齢だし、母親っぽいことも全然していないですから。

 

 つまり、これは五月に「姉」というイメージを持たせたくないがために「家族写真みたいだね」とちょっと強引にらいはに言わせたんですよきっと。ねぎ先生が。

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姉じゃなくて母と思わせたい演出

 そしてもう一つ。直後の花火大会の時にも、四葉に対して「四葉のお姉さんにお礼は言ったか?」と風太郎が言ってます。らいはが四葉と会うのが初めてなのでそういう言い方になるのは全くおかしくないことですが、五月の時には「五月のお姉さん」などと言ったこともありません。

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四葉のお姉さん

 これも、五月に姉というイメージを持たせたくないがためにわざわざ風太郎に四葉のお姉さん」って言わせたんですよきっと。ねぎ先生が。

 

【公開前追記】

 普通にあったわ「お姉さん」って言ってる所。家の中の描写だけ見てて家に入る前のシーンを完全に飛ばしてたわ。

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このお姉さん忙しいから!

  これは……そうだ、あれだ!!ねぎ先生、ツイッターで言ってたじゃないですか!『パンツを見せたらヒロインの格が落ちるという謎の宗教に入っているため着用時の下着は見せないようにしているけど、一度不安になって描いちゃったことはある』って!

 

 それと同じですよ!これも不安に思ってつい喋らせちゃったに違いない!きっと五等分の花嫁の連載が終了した後のインタビューとか公式資料集みたいなのでねぎ先生が 『「このお姉さん」って風太郎に言わせたのは間違いでしたね』って言ってくれるに違いありませんよ!

⑥零奈の言葉を受け取ったのは五月だけ?

 零奈の「男の人はもっと見極めて選ばないといけません」という言葉を受け取ったのは五月だけなのでしょうか。三玖も二乃も一花も林間学校で風太郎や金太郎にハッキリと恋愛感情を持ってしまっていますが、五月はまだ「男女の仲となれば話は別です」と言っており、慎重な様子が窺えます。事実、林間学校前でも「学生の間に交際だなんて不純です」「上杉君とは教師と生徒、一線を引いてしかるべきです」などと言っていますしね。

 

 この零奈のセリフって状況によっては「遺言」にも捉えられるんですが、もしも零奈の言葉を聞いたのが五月だけだとしたら、そのタイミングで「五月が実は長女なんだ」という事も告げられる可能性があるのではないでしょうか?

 

 いやまあ、一花・二乃・三玖が実は見極めた結果風太郎・金太郎を選んだ可能性もなくはないんですけどね。

 

 

 

 根拠となるのはこれくらいですか。反論できてしまう部分も結構あるので(というかこの記事書いてる最中に気付いたけど意図的に書いてないのもあります)なかなか腑に落ちない点もあるでしょうが、一つの理論としてご理解いただければと思います。

 

 

誰を立ち直らせようとした?

 ここまで書いた以上はここもしっかり考えないといけませんね、五月が零奈の死のショックから立ち直らせたかった姉妹は誰か?

 

 一番考えられるのは四葉なんじゃないかなと。一花は自分から大人になろうとしたことから除外、二乃も場面場面で母・姉らしい面が見られるので可能性がゼロじゃないですが除外してもいいでしょう。

 

 ただし、三玖についてはどうとも言えませんが、おそらく除外してもいいでしょう。三玖の風太郎への好意に気付いた後でも四葉のように応援も支援もしなかったし、85話でも三玖のサポートに積極的に動いてはいなかった方なので。

 

 そもそも、一花は大雑把な部分もあるため大人になったあとは積極的に五月の面倒を見るようなことはあまりしていないですが、逆に五月は基本的に真面目な性格ゆえに妹が立ち直った後も面倒を見ようとしてしまうのではないでしょうか。

 

 というのもあって消去法ではありますが四葉なんじゃないかと思いますね。

 

考察に与える影響

 

 折角なので「京都の子=四葉」説で考えていきましょうか。部屋に写真立てがある、ピースの姿勢が5年前の子と同じ、一花の回想の中の子の表情や喋り方など、四葉を連想させるものが多く、あとは漫画メタ的に四葉の活躍が少ないのもあって、この説を取る方が多いでしょう。僕としては五月説を捨てたくないのですがね。 

 

 そして五月は風太郎に5年前の京都の事を思い出してほしいために色々な行動に走っています。零奈として風太郎の前に再度現れて「君に私がわかるかな?」なんて問いかけをしたり、清水寺風太郎と一緒にツーショット写真を撮ったり。これらの理由について、五月長女論を前提とすると『5年前に風太郎と会ったのは四葉』だと思い出してもらいたいためです。

 

 『思い出してもらいたい』じゃないですね。もっと突き詰めて言いましょう。『5年前に風太郎を必要だと言い、写真を撮ったりお守りを買ったりして大切な思い出を一緒に作ったのは四葉だ』と五月は伝えたいんですね。

 

 なぜか?全ては大事な妹である四葉の幸せを願うためです。

 

 四葉の今のスタンスは「姉妹全員が幸せになるように動くこと」です。でもその「全員」に四葉が含まれていないことは読者の僕らと風太は理解しています。だけど、もしかしたら五月も知っているのかもしれません。五月は長女として今も四葉の面倒を見ていますからね。

 

 四葉にだって幸せになる権利があるのに、姉妹を優先して自分を第一に考えない四葉を見ていてもたってもいられない五月が風太郎から四葉に働きかけるように画策した』というのが今の所の推測です。

 

 ツーショット写真を風太郎と四葉の二人で一緒に撮らなかった理由も「あくまでも風太郎に思い出してもらうことを第一に考えているから」と言う所で落ち着くのではないでしょうか?

 

 風太郎が京都の子が四葉だと気付けば、きっと四葉に5年前の感謝の言葉を述べてくれるハズだ。そうすれば四葉も報われるに違いない。

 

 それが、五月の一番の狙いなんじゃないかと思ってます。

 

 

 

 ただ修学旅行中の現状でそれがうまくいっていない様子。風太郎・四葉・五月の三人が清水寺にいるという最高の状況でもっと風太郎に動いてもらいたいのに、その風太郎が突然どこかに行ってしまったので焦っています。

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せっかくのチャンス

  この後で「私に何か隠してる?」四葉に問いかけられるわけですが、まあ四葉の幸せのために上杉君に動いてもらおうとしてるんですよ」なんて口が裂けても言えませんね。そんな事が直接言えるようであれば風太郎に頼らず自分で四葉を幸せにしようと動くでしょうし。

 

 ただし修学旅行ももう終わりに近づいています。次のお話が第10巻の最終話になると思いますので、五月から四葉に、あるいは風太郎に対して何らかの働きかけがあると予想していますが、それが何なのかは更新後のお楽しみですね。

 

 といった感じです。いかがでしょうか、五月長女論。これで理解・納得できる部分が少しでもあれば幸いです。

 

 ちょっと突発的に思ったことなので考察が甘いですが、色々追記や加筆修正とかしていこうかとは思っています。ひとまずは提唱するだけという事でご了承ください。

 

 今回はここまでにします。ご拝読ありがとうございました。

 

*本記事で掲載している画像は©春場ねぎ・講談社/「五等分の花嫁」より引用しています。