東王の日記

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五等分の花嫁の感想考察日記!

五等分の花嫁:感想考察⑤ ~「京都の子=四葉説」に屈服した話(おまけ考察付き)~

 おそらく次の86話が10巻の最後の話になって何かしらの爆弾が落とされる可能性が非常に高いと思いますので、ここで風太郎が5年前に会った子を自分の中の意見として、京都の子=五月説……ではなく、もう四葉説に屈服してしまおう、といった記事になります。話が進むたびに五月説が揺らいでしまう自分がいたのは事実ですからね。もう楽になろう。

 

 過去記事で京都の子に関する考察をしていますので、もしよければそちらも見ていってくださいませ。

 

 

 

意見が変わったワケ

 

 さて、現状作中の大きな謎の一つである「風太郎が5年前に京都で出会った子が誰か?」という問い。これについて85回が終わったところで現状をまとめますと、

 風太郎は京都駅の大階段で京都の子と出会った。その後、清水寺でツーショット写真を撮り、直後にその少女が学業成就のお守りを五つ買ったのを見た。さらにその後、五つ子が泊まっている旅館に行き、先生が迎えに来るまでトランプ(七並べ)をして遊んだ』となります。

 

 この内、先生が迎えが来るまで風太郎と一緒にトランプをしていたのは一花だったことが明らかになりましたね。85回の回想の見る限り、一花はその部分だけしか関与してないと思われますので、残りの部分の「出会いの部分」清水寺~旅館までの部分」が誰なのかを考えていく事になりますね。

 

 ここを切り離して考えるのは、旅館で入れ替わりがあったためです。それと、もうぶっちゃけますけど自分の中で「出会いの部分」に関しては五月でほぼ確定してもいいのかなと睨んでます。

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例によって「あの日」発言

 とりあえずここだけは思い出の子が誰であろうと五月で見ていいと思うんです。何度も過去の記事で言ってますけど「あの日」という言い方は自分自身が経験していないとまず出てこない言葉だから。

 

 で、自分がずーーーーーっと「京都の子=五月」説に拘っていたのはこの『経験しているであろう部分』が非常に大きかったため、そしてその後の出来事も一連の流れで続いていたと認識していたからです。だけど、理由が不明だとはいえ夜に入れ替わりが実際に存在したのを考慮したら、一気にその推測は意味を為さなくなるように感じたんですね。

 

 だからここはもう重要視せず、一番大事な部分である清水寺~旅館までの部分」、すなわち「風太郎を必要と言い、ツーショット写真を撮ってお守りを5つ買った子が誰か?」という所だけを見ていくべきです。

 

 もう言うまでもなく、四葉が京都の子であるという状況証拠だけはザクザク見つかってますからね。

勤労感謝デー②の最後に公開された四葉の部屋に写真立てがある

写真の子と、修学旅行中の四葉のピースしている姿勢が似ている

一花の回想の中での京都の子のはしゃぎ具合

一花が「そっか」の後、班分けの際に四葉に話しかけている

 

 

 などなど、直接証拠は何一つありませんが、四葉を指し示すには十分と言ってもいいほどの根拠が示されています。

 

 まあこんなブログにたどり着くような方は既に別の優秀な方達のブログ記事も見ていると思いますのである程度の解説や疑問点は省略しますが、個人的に気になっていることや思いついたことをいくつか述べていきたいと思います。

 

 

5年前の写真のあれこれ

 

 『写真を撮った以上、現像したものが風太郎と京都の子の双方に1枚ずつあるんだろうな』と今まで考えていましたが、一花の回想の中だとお守りの事しか触れておらず、写真を見せたりなどはしていませんでした。もしも写真をその日に現像したのなら旅館で全員に写真を見せても不思議ではないでしょう。

 

 また、勇也も『始まりの写真』の冒頭で「あの子に会ってからか」と言っている場面がありました。五月が京都駅で出会っていると思う理由で「あの日」と言っていたように、写真を現像した時に間違いなくその姿を目にしたことから「あの子」って言い方ができるんでしょうね。

 

 つまりは風太郎達は撮った写真を旅行中に現像をせず、家に帰ってから勇也にお願いした』。そうなるのかなと思っています。風太郎が二乃から生徒手帳を取り返した時に「五年前か……少し色あせてきたな」と思っていたことから、勇也に現像をお願いしたのも修学旅行が終わった直後のことでしょう。そしてその勇也が写真を現像して、できた写真をマルオに渡す……と。

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あの子に会ってからか

 で、ここでようやく気になることの本題に入るんですが、勇也ってこの現像した写真をすぐにマルオに渡したのか?ってところです。

 

 当時の勇也からしたら間違いなく「この子は誰だ?」ってなりますよね?現像してすぐに「この子はマルオの娘だ」と気付くとすれば、

風太郎が修学旅行に行く前の段階で既に五つ子(の誰か)と会っている

・現像の写真とは別に少女の写真を見たことがある

 この二通りの場合に限られます。風太郎の修学旅行そのものに勇也が関わっている可能性はほぼゼロで見ているのもありますが。

 

 で、それなら現像した写真をすぐにマルオに渡すこともできるし、マルオも写真の子を顔を見ただけで誰か判別できるだろうから該当する子に写真を渡すことができるでしょう。

 

 

 ただしもしそうでない場合、つまり当時の勇也が「写真の子がマルオの娘だと気付けなかった場合」だとしたら、この写真がすぐにその子の手元に行くことはまずないでしょう。

 

 で、ここでさらに疑問なんですけど、5年後に家庭教師の話を勇也とマルオの間でする時に『当時の修学旅行で風太郎とマルオの娘が会っていたかもしれない』なんて話をすることってあるのでしょうか?一人で五つ子全員を教えるという普通に考えてありえない話をしているので、マルオと勇也の間に何かしらの事情があるのは推察できるのですが……。

 

 まあ、5年というのは長いようで短いようで長いです。風太郎が勉強聖人になっている間に勇也の方でマルオと接触してたり何かに勘づくこともゼロではないでしょう。現に風太郎の生徒手帳に当時の写真を入れてるのも知っているくらいですしね。

 

 とはいえ、ここらへんで一番しっくりくる説はやっぱり『勇也は5年前から五つ子の顔を既に知っており、現像した写真をすぐにマルオに渡した』という説かなあ。そして京都の子が四葉であるとしたなら、四葉はずっとそれを部屋の写真立てに飾っているかもしれない……とまあそうなるわけですね。

 

五月のツーショット写真の意図は?

 次に五月のツーショット写真に関して。

 

 修学旅行前の五月が零奈として風太郎の前に現れた理由は、「君に私がわかるかな?」、「京都での思い出は大切なはずじゃなかったのですか?」とあるのを総合的に考えると「京都で大切な思い出を一緒に作った零奈が誰かを当ててほしい」という具合です。

 

 で、それが四葉だと仮定すると「写真の子は四葉である」と風太郎に当ててほしい』と、五月は思っているのではないでしょうか。

 

 となるとツーショット写真を四葉風太郎で撮らなかった理由は何なんだろうって話になりますが、これに関しては前回の「五月長女説」というトンデモ理論を吐いた記事で説明しています。

 

  なぜか?全ては大事な妹である四葉の幸せを願うためです。

 

 四葉の今のスタンスは「姉妹全員が幸せになるように動くこと」です。でもその「全員」に四葉が含まれていないことは読者の僕らと風太は理解しています。だけど、もしかしたら五月も知っているのかもしれません。五月は長女として今も四葉の面倒を見ていますからね。

 

 四葉にだって幸せになる権利があるのに、姉妹を優先して自分を第一に考えない四葉を見ていてもたってもいられない五月が風太郎から四葉に働きかけるように画策した』というのが今の所の推測です。

 

 ツーショット写真を風太郎と四葉の二人で一緒に撮らなかった理由も「あくまでも風太郎に思い出してもらうことを第一に考えているから」と言う所で落ち着くのではないでしょうか?

 

 風太郎が京都の子が四葉だと気付けば、きっと四葉に5年前の感謝の言葉を述べてくれるハズだ。そうすれば四葉も報われるに違いない。

 

 それが、五月の一番の狙いなんじゃないかと思ってます。

 

 これが自分なりの答えです。四葉の『姉妹を優先して自分を第一に考えていない』思想を五月が(長女でなくても)理解している可能性があり、『四葉を幸せにしたい』と願ってても自分の言葉や行動だけでは四葉に届かないだろうからとにかく風太郎に何とかしてもらおうとしている、ということだけ押さえてくれれば大丈夫です。長女説というのはあくまでもその論理に近づけるための手段に過ぎませんからね。

 

 ちなみに五月が「四葉の恋」も応援しているなら、セットで四葉の嫉妬心を煽りたかった」などという事も出来ます(その代わりに三玖の恋の応援をどう感じているかは未知数ですが……)。

 

  ひとまずこれがツーショット写真の真実であってくれれば僕としては美味しいのですがね!

 

五月のお守りの記憶に関して

  

 日付が変わった直後に思ったこと。さすがに自分で五個も買ったらわかる。いくら小学生の時の思い出でも簡単に思い出せる。何より特別な場所で買ったんだから分からないわけがない。思考停止で思い出せるはず。で、全く買ってなくて貰った場合でもわかる。五個買うよりも印象は薄いけど、「誰かから何かを貰う」ってのはそれだけで印象に残りやすいから。経験上だけど。

 

 だから、そんなお守りの記憶が混濁している理由は端的に言って三つ。

①五月が嘘を言ってごまかそうとしている

②五月は本当に覚えてない

③五月はお守りを買ってるし、貰ってもいる

 

 思い当たるのはこれですね。今までずっと①を考えてたんですけど、ふと③を考え付いたんですよ。で、お母さん大好きな五月が買うとしたら健康祈願のお守りになるのかなって。となると、この時はまだお母さんは存命だから五つ子の皆も個性が出始めていない状態なんだろうなって。

 

 一応そんな考察もしましたのでご報告をば。

 

 とりあえず今回はこんな感じで終わりにします。最新話の更新まで残り2時間を切ったのであやふやだった自分の中の方向性を決めておきたかっただけなのと、新しく思いついた考察を記事にしたかっただけです。

 

 以上、ご拝読ありがとうございました。

*本記事で掲載している画像は©春場ねぎ・講談社/「五等分の花嫁」より引用しています。